北海道のこと

たこ足とは霜害を避け労力を軽減するために考案された北海道独自の農具・農機具 旭川市

たこ足とは霜害を避け労力を軽減するために考案された北海道独自の農具・農機具 旭川市

北海道博物館蔵

 

北海道内の博物館でよく見かける農機具

「たこ足」は、一度に多くの種籾(たねもみ。お米の種。精米すれば食べられるお米になる)を、田んぼに直接植えるための農機具です。

北海道は寒冷であり、特に田植え時期となる5月上旬以降でも降雪があるなど農業には非常に厳しい気候です。さらにたこ足の発明された旭川市は、明治35年(1905年)1月25日に日本の気象官署での観測史上最低気温となる「氷点下41.0度」を記録しています。

このような土地では、ビニールハウスなどの設備がない時代、現代のように品種改良が進むまで田植えのための苗を育てることは難しく、低温のため「苗腐病」が発生しやすく、枯れてしまいます。

たこ足は、一度に16カ所に種籾を立ったままの姿勢で、直播(じかまき)することが可能となる「効率」を実現した、画期的な農機具でした。

こうして発明された「たこ足」は、一気に北海道内の稲作農家に普及しました。

 

旭川市の小学校では社会科の副読本で学習

旭川市の小学校では社会科の副読本で、旭川市の開拓や主産業について学習します。そしてその副読本には「たこ足」が登場します。

旭川市は多くの河川が市内を流れて大雪山系の雪解け水や伏流水の恩恵を受けています。

水稲作付面積と収穫量ランキングは北海道内でともに岩見沢市に次ぐ2位、蕎麦の作付面積は北海道内で幌加内町、深川市に次ぐ3位。また、豊富な水資源と良質な米によって日本酒の酒蔵が複数存在します。また、旭川市は国内最大の面積を誇る大雪山国立公園の裾野に広がる上川盆地で、木材を利用した産業が集積し、特に旭川家具は海外でも著名です。

旭川市は盆地である特性から夏は非常に暑く、平成元年(1989年)8月7日に最高気温36℃を観測しており、年間の気温の寒暖差が50℃を超える稀な地域でもあります。

降雪量は多く、年間の降雪日数「雪の降る日」の日数は、143.8日に達し、これは日本第1位です。

なお、北海道内では多くの博物館で、たこ足の実物が展示されています。

たこ足の発明とその功績について紹介された著作がありますので、以下にご紹介します。

unavailable press
unavailable press

unavailable press(UP)は、メディア、イベント、音楽番組、気象・災害の情報とニュースを配信しています。また、日本の習慣・行事も紹介しています。

続きを見る

 

 

大面積の北海道で稲作を大きく広げた直播(じかまき)の技術

拙著「農業技術を創った人たち」で「我が国の水稲直播面積は5万5千ヘクタールが最高……」と記したところ、北海道の友人に注意された。北海道では昭和のはじめまで、 16万ヘクタールにも及ぶ直播が存在した、内地の人は北海道を忘れて困るというのである。一言もない。お詫びして訂正しておきたい。

ところで、これほど大面積の北海道の直播を可能にしたのは、今ではすっかり忘れ去られている「たこ足」と呼ばれる播種器の存在だった。

たこ足は東旭川村(現旭川市)の農家末武保治郎(すえたけやすじろう)によって考案された。

リューマチを病み、長時間冷や水に浸かる作業がつらいため、本器の発明を思いついたという。

彼のアイデアは近所のブリキ職黒田梅太郎(くろだ うめたろう)によって生かされる。

明治38年に、連名で「籾種蒔器」の特許を取得している。

たこ足とは霜害を避け労力を軽減するために考案された北海道独自の農具・農機具 旭川市

大正から昭和のはじめ、北海道に水稲直播を根づかせた 黒田式播種器と、その播種風景 【絵:後藤 泱子】

 

長方形の箱の底に播種孔がつき、そこから16本の管

たこ足はその名の通り、長方形の箱の底に播種孔がつき、そこから16本の管がのびる。

箱底の仕切板の開閉で、一度に16株、各20粒ほどの種子を播くことができる。

後にこの播種器を鑑定した北海道農試の報告によると「製作仕上入念にして堅牢」とある。黒田は腕ききの職人だったのだろう。

 

たこ足の発明以前は低温下で苗が腐る

たこ足が発明される以前の北海道には、内地から水苗代が伝わっていた。

だが低温下で苗腐病が出やすく、栽培が安定しない。苗代播種も4月末からの1週間ほどで終える必要があり、 適期を逸しやすい。

そこで考えられたのが、湛水直播だった。

直播の播種適期は5月中下旬の2週間と長く、移植でみられる生育停滞もない。にもかかわらず、 なかなか農家に普及しなかった。

除草や倒伏を考えると点播がよいのだが、広い水田では手作業が大変で、農家が尻ごみしたからである。

 

手巻きの10分の1 田植えの7分の1の効率を実現

たこ足は、この悩みを解決した画期的な農具だった。

なにしろ1時間に5アールも、立ったまま播種できる。手播きの10分の1、田植えに比べても7分の1の労力ですんだ。

農家が飛びついたのは、もちろんである。

以後、直播は急進し、類似の播種器がつぎつぎ各地で製作されるようになった。

大正時代には22機種もが出回っていたという。

もっとも、たこ足直播の普及には、明治28年に新琴似村(現札幌市)の江頭庄三郎(えがしらしょうさぶろう)が育成した品種「坊主(ぼうず)」が深いかかわりをもつ。

芒(のぎ)のないこの品種を用いることで、播種がさらに楽になったからである。

たこと坊主。

この奇妙な名前をもつ技術のコンビによって、北海道の農家は広い水田の稲つくりに自信をもてるようになった。

大正から昭和にかけて、北海道で急速に稲作が広まったのは、 たこ足のおかげといって過言でないだろう。

だが、そのたこ足直播も、昭和6~10年の冷害を契機に、衰退の一途をたどる。

冷害に強い冷・温床苗代が奨励され、移植栽培に移行したからである。

それにしても、最盛期27万ヘクタールにまで達した北海道稲作の礎石が、このたこ足直播によって築かれたことを記録に留めておきたいものである。

(出典:「農業共済新聞」西尾敏彦氏著 1999/12/08)

 

この情報は北海道のオープンデータを利用しています。
CC-BY4.0 Hokkaido
北海道オープンデータ CC-BY4.0
Hokkaido Government Opendata CC-BY4.0

 

-北海道のこと